平成23年6月22日水曜日曇り

私に対し多い質問第2段として、法医学に進んだ理由:これも、全然、純粋ではありません。大学二年生のおわりに進級判定に不正があり、世にも珍しい大学側との親子団交があり、当時学生代表をしていた私は中立という立場で同席させられました。なんと話し合いは、12時間以上に及びました。さすがの若い私も、心底疲れてきましたが、その中でたった一人教務の責任者であるお方が疲れも見せず、凛と最後まで対応されていたのがすごく印象的で、その方が初代法医学教室の教授ということはあとで知りました。そのことがきっかけで、廊下ですれ違うときには、必ずといっていいくらい声をかけていただきましたが、2年生の私には『法医学って何?』っていうくらいでした。4年生になって、法医学の授業があり興味津々でしたが、結果、そのグロテスクなスライドを観て、『ゲッ』の連続で過ぎてしまいました。実習を含め、メジャーな内科・外科・小児科・産婦人科等、そして、その他全ての科目を通過して、『生』から人間というものを見るのが尋常ですが、『死』から見て何故人は生きることができるのか?という逆の発想から診ることをしたくて進みました。

平成23年6月6日月曜日曇り

よく聞かれる事柄を、これから小分けして、この項にしたためます。

医者になった理由:昭和48年当時、高校の進路指導の先生から、『お前が一番遅い。早く学部を決めろ』と言われました。全然異種なことを考えていたため、決めかねていました。結果、第1志望は、ビルの屋上に園芸はできないものか?から、農芸化学系でした。第二志望は、小さい頃から捨て猫の世話から始まり、鳥・犬・リス・夜店のうなぎ・川のセンパラ・鯉・フナ・熱帯魚等を飼っているぐらい動物が好きで、獣医学部、第3志望は、既に医学部に現役で医学部に入学していた、当時ライバルの兄の刺激で医学部でした。悩んで悩んだ挙句、農芸化学は諦め、医学部を受験しましたが、結果は失敗、しかし、獣医学科には何とか合格しました。でも、兄に負けたような気がして、せっかく入った獣医学部をその秋に退学、再度猛勉強をして、何とか二つの医学部に合格しましたが、熟考の末、在阪の医学部に通ったぐらいで、選択は結構、不純なものです。医学部にどのような進路が多岐に渡ることなど知る由もなかったくらいです。まして、現在のように、法医学者になっているとは、夢にも思いませんでした。・・・・続く