7月29日金曜日晴れ

『死』から見える人生や社会の問題:法医学に従事して、早や、四半世紀を裕に過ぎた今、よく口癖になる言葉が「法医やってて思うが、人の寿命は神のみぞ知るやなア」だ。つまり、災害死などに関わると、あと数センチどっちか、あと数秒早かったり遅かったりしたら、お亡くなりになっていないことに多々遭遇することがあるからだ。だから、私は『死ぬまで生きる。精一杯生きる。』が信念である。自殺が年々増えている。理由は様々だ。病苦・借金苦・厭世、時には、失恋もある。しかし、厳寒のなかで必死にダンボールのみで生きる、しのぐホームレスの人々は健全だ。それに引き換え、自分の高い生活水準を下げるのがいやだと言って、鬼籍に入る人々。自殺する人たちを直に面してきて思うことは、実体験の欠乏や挫折経験の乏しさから芽生えてくる『自殺用スイッチ』を入手することではないだろうか。このスイッチは誰でも手に入れることはできるし、いつでも押すことができる。しかし、遅くは無い、老若男女全ての世代にいろいろな艱難辛苦な実体験を経験し、挫折すれば、このスイッチは自ずと消え去る。そのことを早く、気づいて欲しい。合掌

7月22日金曜日

司法解剖鑑定医(所謂、法医学者)と監察医との違い:世間ではドラマの影響で、監察医という言葉が有名になってしまった。しかし、現実の監察医は、全く事件を扱わない。つまり、法律が違うのだ。監察医は死体解剖保存法の中でのみ、存在する職であり、既に、警察側が刑事訴訟法に則り、犯罪性の有無をはかり、事件性のない遺体を監察医が病死名を探る手腕を振るう。

法医学教室が大学院大学医学部という最高学府に属するのは、最高学府にあることが故であり、如何なるもの人に影響をうけず、公平且つ客観的に天下の宝刀を振るえるからである。監察医はその地域の市井のための行政を担うため、地方自治体に属する。所長は、その自治体からお給金をいただいている。よって、その自治体に不利益になりそうなときは、圧力がかかるであろう。その点、法医学教室における、司法的判断の決定に対しては、たとえ、学長であろうが、学部長であろうが、左右されることはない。

平成23年7月20日水曜日

いままで手がけて中で一番印象に残る事件(死体):いままで関わった検案解剖数は、もう14000体を超えました。現役法医学者では、群を抜くと思います。その中でも印象に残る事件は、たくさんありますが、特に、思い出し、これからも常に、自分の経験則を大事に大切に取り込みことを肝に銘じる事件は、私以外誰も事件とは気づかない事件を明確にし、公判でも担当検事さんに入廷直前に『先生、が負ければ不起訴になります。だから、弁護側が先生をつぶしに来でしょう。先生だけが頼りです。』と言われました。結果は、私の鑑定は同意を受け、有罪となった事件です。それは、ある夏の朝、1人の若い男性が「私の兄貴分が猫と戯れている間に池に落ちた。助けようとしたが、沈んでしまった。通報までに時間がかかったのは、懐中電灯を探しにいったことや気が動転してうろうろしていたから」と若い友人から通報があった。警察は同池から遺体を引き上げ、死因不詳の水死体というだけの鑑定許可で私が司法解剖を施行した。最初に、解剖室の鉄扉を開け、遺体を診た瞬間、溺死にしては少しく顔面がうっ血しているというのが私の第1印象だった。外表は頸部が幅広く蒼白化、背中に太い少しアールのある皮膚変色、これらは、検視官も署員も把握していなかった。解剖に入ると、教科書レベルでは、溺死も扼殺も同じ窒息で所見もほぼ同様に記載されているが、やはり、おかしい。法医学者に最も必要なのが、自分の知識と経験と直感ともう一つ想像力であり、そして、そこから証拠を検証して、その考えが符合するかを論理化する。私は署員に「池の周りに円筒鉄パイプで作られた高さ1mくらいの柵はあるか?」と聞くと、「先生、行かれたことがあるのですか?あります」と言って写真を提示してきた。それを見て、私は、背中を円筒鉄パイプでさせられ、腕で頸部を絞められそして、池に落とされた。人の体は丸から真直ぐの血パイプ柵で背中を押さえつけられると、少しアールがつく。これは単なる落水事故ではなく、殺人である。と断言しました。すると、立会い刑事は一言「事件ですか?」とすっとんきょうな顔でつぶやいた。それからは、警察本部は蜂の巣をつつかれたような騒ぎになったのは、察しできるとおりである。供述によると、前々から、使い走りをさせられて気分が悪かった。当日も、無理難題を言われ、最後に馬鹿呼ばわりされて、ついに鉄パイプ柵越しに後を向いたとき犯行に及んだというものだった。日本国憲法にも定められているように、自己負罪拒否特権が認められている。自分にとって都合の悪いことは作話したり黙っていても良い。法医学者に提供される情報には嘘や隠された事実が入り混じっていることを再度認識させられた事件であり、自分の信念を試された事件でもあった。

平成23年7月6日水曜日 曇り

法医学者としてのやりがいとつらさ、奥深さ:法医学者は医療過誤や医療事故の発生時、常にそのときの医療水準に基づいて鑑定を行わなければならないので、臨床経験は不可欠です。いろいろな標榜(科)を浅いですが渡り歩き、『生』も『死』も携わることができ、私の性格からして、何のものにも貪欲に関わり、それを知識とし、一つの事象をいろいろな方向からものをいえる学者になるには法医学が最適でした。医学だけではなく物理も化学も数学もあらゆる知識が必要で考え、推認する。それが論理的でその事案の解決にばっちり符合したときの達成感は感無量です。私にとって、法医学を続けて本当に良かったと思う瞬間です。しかし、解決したからといっても、犯罪が一つ確定するだけです。花形な外科医などと違い、あまり感謝はされませんし、とても地味で、臨床の先生と比べたら薄給です。美人の看護師さんもいません(笑)。

法医学は奥が深く、まだまだ、確立されていませんし、法医学は応用医学に含まれ、目覚しく科学の進歩を、応用しなければなりません。例えば、私が積極的に導入した法医学教室専属CT装置を用いての遺体非破壊検査や一塩基多型(SNPS)解析機の法医学的転用もそうです。先達から引き継がれた貴重な知識と最新の機材とのコラボ、まだまだ勉強しなければならないことが山積みです。