いままで手がけて中で一番印象に残る事件(死体):いままで関わった検案解剖数は、もう14000体を超えました。現役法医学者では、群を抜くと思います。その中でも印象に残る事件は、たくさんありますが、特に、思い出し、これからも常に、自分の経験則を大事に大切に取り込みことを肝に銘じる事件は、私以外誰も事件とは気づかない事件を明確にし、公判でも担当検事さんに入廷直前に『先生、が負ければ不起訴になります。だから、弁護側が先生をつぶしに来でしょう。先生だけが頼りです。』と言われました。結果は、私の鑑定は同意を受け、有罪となった事件です。それは、ある夏の朝、1人の若い男性が「私の兄貴分が猫と戯れている間に池に落ちた。助けようとしたが、沈んでしまった。通報までに時間がかかったのは、懐中電灯を探しにいったことや気が動転してうろうろしていたから」と若い友人から通報があった。警察は同池から遺体を引き上げ、死因不詳の水死体というだけの鑑定許可で私が司法解剖を施行した。最初に、解剖室の鉄扉を開け、遺体を診た瞬間、溺死にしては少しく顔面がうっ血しているというのが私の第1印象だった。外表は頸部が幅広く蒼白化、背中に太い少しアールのある皮膚変色、これらは、検視官も署員も把握していなかった。解剖に入ると、教科書レベルでは、溺死も扼殺も同じ窒息で所見もほぼ同様に記載されているが、やはり、おかしい。法医学者に最も必要なのが、自分の知識と経験と直感ともう一つ想像力であり、そして、そこから証拠を検証して、その考えが符合するかを論理化する。私は署員に「池の周りに円筒鉄パイプで作られた高さ1mくらいの柵はあるか?」と聞くと、「先生、行かれたことがあるのですか?あります」と言って写真を提示してきた。それを見て、私は、背中を円筒鉄パイプでさせられ、腕で頸部を絞められそして、池に落とされた。人の体は丸から真直ぐの血パイプ柵で背中を押さえつけられると、少しアールがつく。これは単なる落水事故ではなく、殺人である。と断言しました。すると、立会い刑事は一言「事件ですか?」とすっとんきょうな顔でつぶやいた。それからは、警察本部は蜂の巣をつつかれたような騒ぎになったのは、察しできるとおりである。供述によると、前々から、使い走りをさせられて気分が悪かった。当日も、無理難題を言われ、最後に馬鹿呼ばわりされて、ついに鉄パイプ柵越しに後を向いたとき犯行に及んだというものだった。日本国憲法にも定められているように、自己負罪拒否特権が認められている。自分にとって都合の悪いことは作話したり黙っていても良い。法医学者に提供される情報には嘘や隠された事実が入り混じっていることを再度認識させられた事件であり、自分の信念を試された事件でもあった。